「オモロイ坊主を囲む会」Blog

オモロイ坊主の人生問答!「生きる意味とは」

<質問します>

56歳、大手商社の役員をしております。
まことに贅沢なご相談と言われそうなのですが、
私なりに、漠然とした不安をかかえております。

会社の仕事は順調で、日々チャレンジを続けており、
成果もでております。
大学生の息子に、社会人の娘、妻ともに健康です。
趣味はゴルフとロックバンド、妻と海外旅行へも良く行きます。
週末はボランティアで、介護老人の送迎をさせて頂いてます。
経済的にも問題はありません。

人に夢は?と聞かれたとしたら、
定年後、ヨットで世界一周をしてみたいと考えていますが、
おそらく実現すると思います。

寝る前には、釈迦を含めた哲学書を読む中、
仕事、家庭、地域の人たちに思いやりをもって接する重要性を感じ、
努めてそのようにも心がけております。

でも、情熱的に何かに打ち込んでいる意識は無く、
生きている目的は一体何かと、考え込む事が多くなり、
もしかしたら心の病気なのかと、思ったりもします。
一体何を指針に生きていけばよいのでしょうか。




<お答えします>

貴方は『漠然とした不安を抱えている』とお書きですが、この生に
漠然たる不安を感じないで生きている人って居られるのでしょうか。
ブッタは『この生は苦に満ち溢れている』と説いておられます。
“生じたものは必ず滅する”これはどうすることも出来ない、
これは生きとし生きるものの定めです。
生・病・老・死、これらは誰もが避けられない、逃げられない真実です。
いくらお金に恵まれていても、家族に・健康に恵まれていても、
地位・名誉を得ても、いずれは滅し消え流れ去っていく、あの世へは
この身体さえも持ってはいけない。
もし持って行けるとしたら“心”だけです。

俺は、そのために宗教があり、哲学があるのだと想っています。

貴方は『一体何を指針に生きていけばよいのでしょうか。』と聞いて
おられるが、それはそれぞれの人が自分で見つけ出すべきだと考えています。

俺は幸いにして、51歳のときにブッタに出会ことができました。
宗教としての仏教ではなく、人生の羅針盤としてのブッタの実践哲学に!
人生の師・人類の大先輩・俺と同じく二本足で大地を踏み、その身体に
赤い血の流れた、人間ブッタ・人間釈迦尊に出会い、彼の教えに導かれ
生きる喜びを知りました。

俺は仏教だけが全てだとは言いません。
それがイエスであろうと、アーラであろうと、孔子であろうと・・・・
ソクラテクスであろうと・・・・親鸞であろうと、日蓮であろうと・・・・
それぞれの人が、それぞれ自分に合った師、自分が納得して、尊敬し、
その教えに従える師を求めるために、多くの人に出会い・多くの本を読み・
多くの人生経験を積むことだと思います。

貴方のご質問にお役に立てるような、適切なお答えは私には浮かんできません。
また人から『これが良い、こうしなさい』と言われても、自分が納得し、
心から信じられなければ、ただのオタクになるだけです。

まずは自分の良心に恥じない行いを、日々実践するのみです。
人生の師を『心から求めれば必ず出会える』・全ては心の従うものです。

“生きる意味”とは人に問うものではなく、人に与えられるものでも無く、
自らが日々の行いの中で・日常生活の中で見出すものです、すれば心から尊敬し、
心から従うことのできる良き師に必ず巡りあえます。合掌
(藤川チンナワンソ清弘)



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